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バヤン (バアリン部)
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バヤン (バアリン部) : ウィキペディア日本語版 | バヤン (バアリン部) バヤン(Bayan, 1236年 - 1295年)は、モンゴル帝国の将軍で、元を開いた大ハーン、クビライの重臣。漢字表記は伯顔。元が南宋を併合したとき、南宋討伐軍の総司令官として活躍した。 == 生涯 ==
=== イルハン朝から元朝へ === 元朝秘史によれば、バヤンはモンゴルの名族である(現内モンゴル)出身である。バヤンの家は曾祖父の代にチンギス・ハーンに仕えてバアリン左旗(東部)の千人隊長(千戸長)となったモンゴル貴族で、父シャオクタイは1253年に始まるフレグの西方遠征に参加した。バヤンも父とともにフレグの軍に従い、のちに若くしてイランに建設されたフレグ家のウルス(イルハン朝)の将軍となった。 その後、1264年に使者としてイルハン朝から中国の大ハーンの元に送られたとき、バヤンを接見したクビライは、その容貌がすばらしく才幹に優れていることを知り、そのまま引きとめて自身の部下とした。クビライはバヤンを、側近の中書右丞相アントンの妹と結婚させ、1265年にクビライの政府の中枢機関である中書省に置いて、アントンの次席の位である中書左丞相に任命した。
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